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皆様、おはようございます。師走のひと時を、この『オヤジの一言』を読んで頂きありがとうございます。おじいさまが言っていました『毎日同じ!わしら百姓はお日様を毎日拝み、今日も生かせていただいたことに感謝せんな、いかんで!』子供の頃よく言われました。雨が降っても、お日様は東の空から上がってくる、毎日同じや!そう言いたかったんでしょうね。明治18年生まれ、幕末に侍であった父親を持ち、悲しいかな4歳で父を亡くし、母親は、商家に後妻に入り、おじいさま兄弟は、親戚に預けられ、その後、大百姓の家で6歳から働いたそうです。親もなく、教育もなく、おじいさまは育っていったようです。父親につけられた名前は『慶次』けいじです。幕末から明治になって、最後の年号慶応を次ぐの意味でなずけたと言う、手書きの文字が仏壇に大事にしまわれていました。おじい様本人は字が読めないので、長い間お世話になった、大百姓さんの家で保管されていました。私がそれを見たのは小学生の頃でした。人の運命は全く分かりません、おじいさまは、母親も、父親も全く記憶にないと言っていました。毎日朝から晩まで働いたそうです。二十歳で独立をして、大百姓さんに信頼されたおじいさまは、小作人ではなく、土地を買い、次々に多くの田んぼを買って行ったようです。字も書けない人でしたが、周りに良い人がいっぱいおられたようです。私が知っているおじいさまは、全くお金を持ち歩いていませんでしたが、日々にこやかに生活をされていました。前にも言いましたが、敬老の日に息子・娘・孫からもらったお祝い金はいつもすべて、私にくれました。多い時で30万くらいの時もありました。昭和50年ごろの話です。このお金で私は、学生時代楽しみました。おじいさまがいつも言われたのは『稔、この金はお江戸の友達と遊んで使いや、決して生活費にしてはあかんで、生活費は親からもらい、ええな!』そんなおじいさまでした。続く・・・

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